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2011年9月25日 (日)

一時間、五ヶ月(10)

 
 どこか広くて静かな場所に行きたく
 なっていた。
 体のあちこちでこぼれ落ちそうにな
 っている部品を広げたシートの上に
 一度ぶちまける必要があった。
 集まった部品の数は手の中で作業を
 終わらせるのは不可能なほどになっ
 ている。
 
 8月27日。
 せんだいメディアテークは
 おおらかな所だ。
 仙台駅から歩いて15分くらいの
 所に建つガラス張りの四角い箱は
 随分前にNHKの番組で見たユニー
 クな建築様式が印象に残っていて、
 いつか行ってみたいと思っていた。
 
 七階建ての内、
 三階と四階が図書館で一階が展示
 スペースと常設のカフェ、五、六
 階も展示スペース、七階は補修中
 のため使用できなくなっていた。
 二階は「3がつ11にちをわすれ
 ないためにセンター」という情報
 発信スペースがある。
 
 図書館で向かった。
 二冊選んで閲覧席に座る。
 緩やかな空気がフロア全体を通り
 抜けている。心地良い。
 書架が置かれた三階と中二階的な
 造りの四階の勉強、閲覧スペース
 が部屋として分けられていない為
 だと思う。
 
 多くの扉のある閲覧室の内側には
 ある目的の為に集まった人達が生
 み出す特有の空気が満ちている。
 利用者は扉を開けて中に入る時、
 その空気を身体に取り込んで順応
 する儀式を通過することになる。
(扉が開けられた瞬間、内側の人は
 その空気をひときわ吐き出すよう
 な気がする)
 メディアテークの図書館はこの儀
 式をオミットすることでフロア全
 体でひとつの空気感を共有しよう
 としている。
 
 開いたノートに部品の大きなもの
 から文字にして置いていく。
 目に見える形にしていく事で気が
 鎮まっていく。目の横の筋肉から
 力が抜け、頭も軽くなってくる。
 
 トイレのついでに一階に降りる。
 被害に遭った人達がボランティア
 の人達と一緒に花を植えて復興し
 ていく様子を撮ったものがパネル
 展示されている。
 正式な名前は忘れちゃったけど、
 これからの仮設住宅のデザインの
 アイデア展というのもあって
 小学生から専門家までがアイデア
 をそれぞれ一枚の紙にイラストや
 製図として発表されていた。
 多くはさっきの図書館のような
 仕切りの少ない開放的な造りで、
 屋外に置かれた極長テーブルに
 映画「家族ゲーム」みたく横一列
 になってみんなが食事している絵
 が印象に残った。ご飯がおいしい
 だろうなあと思う。
 いいの出すなぁと感心する一方で
 家を失くした人達は普段通りの家が
 いいに決まっていると思い知る。
 
 夕方。プロ野球を観るため地下鉄に
 乗って宮城Kスタジアムへ行った。
 楽天とダイエーの試合。
 投手は田中と杉内。
 なんとチケットは売り切れ。
 初めての生観戦はお預けとなった。
 家族連れのお父さんが切符売場前で
「そんなことあるんだね」と言った。
 ぽかーんとした表情と台詞が似合っ
 ていて漫画のふきだしをつけてあげ
 たくなった。
 球場の外は電飾と音楽で彩られて
 ビールやグッズの売店があり、入場
 できなかった人達が結構残って外に
 設置されたテレビを見ていた。
 僕も一時間くらいそこにいた。
(だって弁当と飲み物を買っておいた
 んだ。持って帰るのばかみたいじゃ
 ないか) その後はこれといって何
 もなかった。
 
 8月28日。
 朝から図書館。
 閲覧席で昨日の続き。
 宮城の歴史を漫画にしたものがあっ
 たので読んだ。原始時代から始まる
 内容で三冊めでお腹一杯になる。
 夕方、座っていられなくなって
 地下鉄一日券を買って端から端まで
 行く。どちらかの終点の駅前の
 イトーヨーカドーへ入る。
 店内ではエイベックスのチャリティ
 ライブのパブリックビューイングが
 設けられていて幅広い年代で席が埋
 まっていた。
 立体駐車場の屋上へ行き、一台の車
 もない事をいいことに身体と声のス
 トレッチをした。
 それから夜空をしばらく眺めた。
 仙台駅に戻り、アーケード街を歩い
 た。眩暈がするのでマクドナルドに
 入ってジンジャエールを飲み、周り
 にわるいなと思いながら阿呆な顔を
 したまま壁にしばらくもたれ掛かっ
 ていた。
 
 僕がマジシャンやギタリストだっ
 たら良かったなと思うことがある。
 被害を受けた人達を喜ばせること
 ができたのにと。
 マジックみたいに出したり消したり
 三分間の魔法のミュージックを鳴ら
 したりして。だけどいつまでも続く
 魔法はないんだろう。
 それにマジシャンやギタリストは
 自分がレスキュー隊だったらと
 思う時があるのかもしれない。
 
「君は何処から来て、何をする者か」
 
 石巻市の静かな住宅地を歩きながら
 問われている気がした。
 自分が何者であろうと何の役にも
 立たなかった五ヶ月前の日があり、
 何者もきっと力になれる時期が
 時間を経て訪れ始めている。
 
 メディアテークのパネル展の写真の
 一枚。フレームを埋め尽くす黄色い
 ひまわり畑の中で両腕を広げて立つ
 おじさんが失くした家族の写真を
 両手に持って笑っていた。
 涙が出た。
 
 8月29日。
 使い続けたネットカフェを朝5時に
 出て仙台駅、JRとバスを乗り継い
 で仙台空港へ。朝の雲海の美しさに
 見とれているうちに飛行機は
 千歳空港に到着した。
 それからJRに乗って一時間後には
 家に着き、僕の旅行は終わった。
 
 あの静かな住宅地で見かけた
 わずかな人達は
 荒野に咲く花みたいだと思った。
 言葉を交わしたりしなかったし
 遠目から見ただけだったけれど
 ほっとした。
 満開になるように育んでいきたい。
 それはとてもきれいだ。
 

2011年9月22日 (木)

一時間、五ヶ月(9)


 セブンイレブンを後にして歩く。
 さっき登った丘が遠くに見える。
 ずいぶん遠くだ。近くにはイトー
 ヨーカドー。そちらには行かず
 交差点で曲がる。
 歩道の目立つ所に看板。
 手書きで銭湯か温泉らしき名前が
 書かれている。そちらにも向かわ
 ず駅の方へ向かう。
 時々タクシーが通らないかを振り
 返って確認するが通らない。
 道路と車と空き地。
 町と町との間の区域。
 僕以外に歩いている人はいない。
 通る人は自転車を使っている。
 歩いておもしろい場所じゃない。
 どこにでもある、人が町と道路を
 作ると生まれる余白のような所。
 飛行機の高さから眺めればコント
 ラストが効いて良いかもしれない
 が現地を歩く者にとってみると
 なかなか退屈だ。
 
 しばらく歩くとセブンイレブンが
 あった。日本の地図の角地には
 コンビニが待ち構えている。
 タクシーを呼ぶ。15分くらい
 かかるとのこと。広い駐車場に
 車が出たり入ったり。車を降りて
 くる人の多くは海水浴帰りのよう
 な疲れた顔をしている。
 
 タクシーは20分後に来た。
 東宝タクシー。車内で東宝系映画
 を観ることは出来ない。
 行き先を伝えると中年の運転手は
 遅くなったことを詫びた。
 この辺りは橋が足りなくて
 道がすぐ混むのだそうだ。
 老化した喉から発する声はツヤが
 あって僕の好きな方の声だった。
 車中は冷房が効いていたし、
 柔らかい背もたれと密閉性は僕を
 安心させた。
 あの場所から離れていく安堵。
 駅にはきっとすぐ着いてしまう。
 僕は背すじを但し、尋ねる。
 
――津波のあと、凄いですね
「すごいでしょ、うん」
――テレビなんかで見ていたのに
 実際に見るとちょっと信じられな
 いくらいの衝撃でした
「ぜぇんぶやられたのさ。そこの
 中古車屋の車なんか全部流されて
 山積みになったんだよ」
――ええっ。でもよく直りましたね
「道路を空けなきゃならないから
 全部ダーッと機械で寄せてさ。最
 初は寄せただけ。道路はね、すぐ
 なんとか。水が引いてからね。
 あとは家だよね」
――あんなに(家が)どこまでもや
 られてるとは思いませんでした。
 工場ありますよね、あれは大丈夫
 だったんですか
「日本製紙かい?あそこも大分やら
 れたみたいよ。もう辞めるってね
 当初は言ってたんだわ。
 でも周りから辞めないでくれって
 言われてね。辞めたらほら、
 この辺の結構たくさんの人が仕事
 困っちゃうでしょう?
 それでやることにしたみたいよ」
 (日本製紙石巻工場は9月16日
  に生産を一部だが再開した)
――港、漁業の方なんかは?
「うん。流された船の分は他から
 もらったりして始めたみたいよ」
――この辺は何が獲れるんですか?
「牡蠣。ここから東京とかに持って
 くんだよ」
――カキフライ
「フライね。うん。ここでとった
 やつは大体、生食用ですよ。加工
 したりフライにするのは広島産。
 広島から持ってきたやつは生には
 使えない」
――へえ。松島で牡蠣のたくさん入
 ったカレーパン食べました。
 おいしかったです
「ああそう。はっはっは」
――あれだけの津波があった海に
 戻るのは怖くないんでしょうか
「私はタクシーだからわからないで
 すけど漁に戻るしかないからね」
――戻るしかない
「仮設も作ってるけど港から離れた
 場所は面倒とかって聞くよ」
――あの、家はどうするんですか。
「うん。リフォームはいいけど、
 取り壊して新築するのは駄目って
 言うんだよね」
――…それは危ないから?
「そうそう。高台に場所つくるって
 話だけど、漁する人なんかは遠く
 てヤダって言うでしょ。どうなる
 のか」
――あの、こんな質問も困ると思う
 んですけど、どうしてほしいです
 か?何をしたら助かりますか?
「ええ~(笑)なにかなあ。なんだ
 ろうね?」
――お金ですとか
「うう~ん。難しいな。なにを、
 って聞かれると難しいね」
――それがわからなくて、知りたく
 て来たという部分があるんです
「ああそう。まあ、仕事かなあ」
――タクシーも大変だったんですか
「うちの車、半分持ってかれて駄目
 になったからね」
――ああ…従業員の方は大丈夫だっ
 たんですか
「一人、一番若いやつが流されまし
 た。行方不明」
――そうですか
「海にね、流されちゃってるんだろ
 うね」
――お話、ありがとうございました
「どうもありがとうございました」
 
 タクシーを降り出発直前の列車に
 飛び乗る。来た時より人が多い。
 矢本駅からの代行バスも丁度良く
 来ていて待つことなく乗り、
 松島、そして仙台へ。
 駅前の風景を体が覚えている。電
 光掲示板の明かりが眼に沁みる。
 迷うことなく落ち着いた足取りで
 昨日のネットカフェへ。
 すぐにシャワーを浴びる。知らな
 い土地での熱いお湯は特別だ。
 この時だけは夢中で体を洗う。
 バスルームの鏡の前。眼の下が
 真っ黒で落ち窪んでいる。
 
 狭い部屋で考える。
 ――今日、何を見たんだっけ。
 思い出す。すぐに
 ――どうしようか。のフレーズが
 ポップアップされる。早い。待っ
 て。一つ考えを立てた先から質問
 が扇状のドミノ倒し式に始まる。
 中央システムはダウンする。
 
 帰りの列車、矢本―松島間で
 来る時と同じものを見た。
 
 今日はもう考えるのはよそう。
 寝よう。でもこの日は部屋の場所
 がわるく、呻る冷蔵庫に何度も
 起こされることになった。
 
  つづく
 

2011年9月21日 (水)

一時間、五ヶ月(8)

 
 下り坂は面倒だ。
 子供の頃は「速く走れる!」と
 喜んで駆けた。背が伸びて体重が
 増えてからは本当に速く走れ過ぎ
 て怪我をしそうだ。
 億劫で放置されている自転車を見
 てわるいことを考えてしまう。
 
 歩く速度が少し速いのかもしれな
 い。ご飯なんかついさっき食べた
 ばかりだ。歩く速度を抑える。
 出来るだけ長く活動できるよう体
 力を温存したい。薄く長く水飴の
 ように。
 
 工場に着くまでにそれほど時間は
 かからなかったように思う。
 とは言っても工場は広大な敷地面
 積を有していて僕が辿り着いたの
 はその端っこだ。
 工場の端の前には大きな道路が
 沿っていて断続的にトラックが走
 る。そのたびに埃が巻き上がる。
 僕は道路に沿って歩道を行く。
 入り口があれば入るのだけど
(これは強がりだな)入り口がない
 ので横に歩くしかない。
 酷く遠回りをしているみたいだ。
 ところでこれは何の工場だっけ。
 
 道路に面した中古車屋の緑のバッ
 クネットに細かい白い紙切れが
 びっしりと神社のおみくじの如く
 付着している。夥しい量だ。
 工場主は日本製紙。紙切れは工場
 から流れ出たものなのだ。
 中古車屋は既に店を畳んでいて車
 も人もない。
 
 道がだんだんぬかるんだ所が多く
 なる。靴が半分くらい沈み込む。
 大きな水溜まり。回り込む道もな
 いので思い切って跳び越える。
 着地した地面もぬかるんでいて
 靴は泥だらけに。
「おーい!」
 と天を仰いでしまう。
 80年代のデ・ニーロなら喜んで
 やるようなシチュエーションだ。
 
 靴裏を地面にずりずりしながら
 進んだ先で倒壊した家を見る。
 バスの中でもテレビの前でもな
 い目の前10m。地続きで見る
 初めての光景。その距離9m、
 8、7、6、7、8、9...
 泥のついた足跡は家の前で
 ゆるい弧を描き通り過ぎた。
 中を覗くのはためらわれた。自分
 はこの家の者ではない。家の主は
 ここを捨てたわけじゃない。
 
 歩道から車道に流れ出た泥を
 トラックが飛沫を巻き上げて走り
 抜けていく。服まで泥だらけにな
 るのは困るので路地に入る。
 そこでたくさんの損なわれた家を
 見た。津波に襲われた住宅地。
 地面は乾いて歩きやすい。
 泥にまみれているのは靴と家だ。
 家の並びが美しい。
 小さな垣根と庭。
 お隣の陽あたりを遮る建物はなく
 仲良く家が並んでいる。 
 静かだ。鳴るものがない。
 トラックの走る音は遠くなり
 今ではもう聞こえなくなった。
 
 家には誰の気配もない。
 二階建ての家は一階がもれなく
 損なわれている。
 破壊された玄関は割れた窓や
 ひしゃげた電柱よりずっと見る者
 に空虚感を強く残すものなんだと
 知る。
 小さくても大きくても、
 立て付けが悪くても構わない。
 でも壊されてはいけないのだ。
 玄関は一日の始まりと終わりを僕
 らが認識する大切な境界線だ。
 家がその形を保っていようと玄関
 が失われていたら夜と朝の区別を
 家がしてくれなくなるだろう。
 いつまでが夜でどこからが朝なの
 かわからない日々はそこに住む人
 にとって大きな喪失だと思う。
 
 あの日を昨日にできぬままの家々
 を結ぶ路地を歩く。
 足取りはなぜか重たくなる。停止
 したエスカレーターを上がる時の
 ように重く、頼りない。
 玄関にブルーのビニールシートを
 張っている家もあった。
 住んでいるのだろうか。地震後、
 物盗りが多発したと聞く。
 その防護策かもしれない。
 自分の呼吸が乱れていることに
 気付く。無意識に息をひそめてい
 たのが苦しくなってきたのだ。
 息を吐く時に音が出てしまう。
 立ち止まって振り返る。
 太陽の音がする。
 工場から直線にして何十メートル
 か内陸まで引き返してきた。
 水はここまで来てその勢いを全く
 失わなかったのだ。こんなにも。
 大きな工場が堤防代わりにならな
 かったのだ。
 家を修繕している二人の男。
 骨組みから作り直している。
 きっと職人だろう。材木を切断す
 るチェーンソーのモーター音。
 それが止むと金槌が釘を打ち込む
 音が聞こえる。
 
 トントントン、フィイイ――ヂヂ
 ヂフィイ――トントントン――
 
 交互に繰り返される音は僕の中を
 通り抜け、玄関のない家を通り抜
 けてどこかで聞き手を失って
 空気中に溶けたろう。
 車が通ることもあった。
 墓石が軒並み倒れた墓地。
 それでも人が訪れている。
 家を取り壊すために重機が入り、
 通行止めになっている所もある。
 そういう所には警備員が立ってい
 る。ふいに居場所のなさを感じて
 僕は角を曲がる。
 
 水がこんなに内陸まで到達し
 勢いを失わずにやって来たという
 事実は僕の消化速度を上回り、
 腹の中に溜まり続けさっきから
 胸やけを起こし始めている。
 もう充分だ。ここはもう充分だ。
 中心に向かって歩く。
 水が届かない所へ向かって。
 水はもう五ヶ月前に引き、道は乾
 いているのに気持ちがぐっしょり
 濡れて重たくなっている。
 どのくらい路地を越えたか覚えて
 いない。水が届かなかった家々は
 あった。当たり前だ。
 そこから後ろは当然ながら日常の
 風景を湛えている。
 庭で若者二人が話しこんでいる。
 何ブロックか向こう側で
 大きな建設工事が行われている。
 車が10メートル先を何台も
 横切って行くのが見えてくる。
 生きた道路だ。
 道路の角にセブンイレブン。
 中は冷房が効いていた。少し頭が
 痛いかもしれないと思った。
 野菜ジュースをひとつ買い、
 店の外で飲んだ。
 17時。ひっきりなしに車が走り
 抜けていく。顔が日焼けしかけて
 いるのだろうか、風に吹かれると
 ヒリヒリした。
 
  つづく
 

2011年9月20日 (火)

一時間、五ヶ月(7)

 
 15時20分。石巻駅。
 仙台駅で買った切符をようやくここ
 で改札機に入れる。
 駅に喫茶店。看板にロボコン。
 マンガッタンカフェなる喫茶店。
 駅の入り口にはサイボーグ009の
 女の子(003ね)の人形もある。
 石ノ森章太郎キャラがお迎え。
 石巻市は漫画の街として力を入れて
 いるらしい。知らなかった。
 石ノ森さんは宮城県の生まれなのだ
 そうだ(だろうねそりゃ)。
 
 来て早々ナンだけど、
 漫画を街の看板にするのは荷が重い
 気がした。
 彼らは紙の上で躍動するもので、
 看板や人形になった途端にその性格
 を失ってしまう。
 009は正義の味方だけど、駅前に
 立っているのを見るとなーんか鈍る
 んだ。田舎指数が急上昇するという
 か。彼らには悪の限りを尽くす敵が
 必要なのだ。駅前に敵はいない。
(でも地下鉄のボディにペイントされ
 た009達は様になっていた。移動
 するものには似合うのかもね)
 
 広場になっている駅前。どこもこの
 時間帯は人がいない。広場の端に
 タクシーが停まっている。他に熱を
 発する機械は見当たらない。
 ここは郊外だ。
 仙台のような中心街とは違う。
 
 広場の向こうにスーパー。店内は
 人も商品も少ない。スペースを持て
 余している。ソーセージ購入。
 
 広場に戻って遅いランチ。パンに
 チーズにソーセージ。水。鳥が飛ん
 でいる。列車は走っている。
 雨は止んでいい天気だ。陽が強くて
 西部劇のビデオのジャケットみたい
 な目つきになってしまうぜ。
 
 携帯で近くの地図を出してみる。
 さっきのスーパーの向こうが海側の
 ようだ。車の走る音が聞こえるが
 その姿はここからは見えない。
 ――もうわかっている。
 行かないと、見えないのだ。 
 
 スーパー裏側の信号機は消灯して
 いた。代わりに係員が立ち交通整理
 をしている。(機械の製造が間に合
 っていないのだそうだ。どれだけの
 信号機が損なわれたのだろう)
 消灯した信号機の寂しさは僅かだっ
 たのは係員がいてくれるおかげだろ
 う。それにしても消灯中の信号機は
 とても大きく見える。不思議。
 
 徒歩は徒歩の速度がある。
 バスや列車のように景色が刻一刻と
 流れていかない。10歩進んでも
 20歩進んでも景色は大して変わら
 ないのが徒歩だ。変わらない景色の
 中に興味を見出せなければ視線は
 下がっていく。視線の先、
 地面は所々割れ、ぶつかり合って
 隆起していたりする。道路脇には
 細かい瓦礫が寄せられていた。
 町は埃っぽかった。
 車が通った後はさらに埃っぽい。
 排水溝のブロックが外れてる所が
 ある。学生がいた。下校の時間。
 
 海に向かっているはずなのだが
 そちらは高い丘になっている。
 かなり急な勾配だ。地図の見方に
 自信がないので仕方ないが、とに
 かく登ってみることにする。
 高い所から見下ろせばどっちが
 海かわかるだろう。
 登っている途中、おばあさんが
 いたので声をかけたが気付かれ
 なかった。声は三度かけたが反応
 しなかったのでやめた。
 
 登りきった丘の上は住宅地だった
 。遠くに煙突が何本か見える。
 工場。距離にして数キロ。
 その向こうは見えないが海がある
 はずだ。まずは煙突の方へ向かう
 ことにする。
 途中、十五戸くらいの仮設住宅を
 見た。既に入居者がいるのかわか
 らなかったがひっそりしていた。
 いいや、見ている自分がひっそり
 していたのかもしれない。
 丘の下りに差し掛かるところに小
 学校。校庭で何人かの子供が絶叫
 している(子供同士の会話の基本
 は絶叫だ)。話しかけてみる。
 緑色のシャツを着た丸坊主の子。
 
――すみません、海の方へ行きたい
 んだけど。
「海?海って?」
――港…かな?
「そういうのはあいつが知ってるん
 で待ってください。カッちーん!」
「なんだよ、セールスなら何も買わ
 ないぞ」(くねくねしながら本当
 にそう言った)
――セールスじゃないよ。海はさ、
 あっちに行けばいいんだよね?
「すごく遠いから歩いてはいけない
 ですよ」(くねくね)
――そうなんだ。
「タクシー呼んできますか。僕、
 先生に言ってタクシー呼んでもら
 います!!!」(緑シャツ絶叫)
――いやいいよ。ここは何小学校?
「山下小学校」
――何年生?
「4年生です」
――地震の時のこと、聞いてもいい
 ですか。
「いいですよ」
――地震の時、どうだったの?
「揺れました」
――うん。学校は?
「避難所になりました」
――皆、避難したんだ。
「はい」
――大丈夫だった?
「はい」
――転校したりした子とかいたの?
「ちょっと休んだけど戻って来た子
 とかいます」
――そうか。どうもありがとうござ
 いました。
「さよならー」
「さよーならー」(くねくね)
 丘を下りていく途中、くねくねの
 声がした。
「旅はいいねー旅はいいねー」
――旅じゃないんだよと言いたかっ
 たが、そうと断言できない引っか
 かりを覚えてそのまま後にした。
 
  つづく
 

一時間、五ヶ月(地図)

 
 25日の夜に書いたもの。
 左は日本列島。
 右は海岸線を拡大したもので
 石巻の右のくしゃっとした文字
 は女川と書かれています。
 
 Map


一時間、五ヶ月(6)

 
 それは一階のない家だった。
 一階が原型を留めておらず、骨組み
 が剥き出しになっている。流された
 というより潰されたという印象だ。
 中世の戦争で城攻めの際に使う
 分厚い城門を破壊する先を尖らせた
 丸太の束が突っ込んだような。
 これが大量の海水が押し寄せた結果
 だと、納得するしかない。
 とても信じられないと言っても。
 
 車中は静かになっていた。
 外はもっと静かだろう。
 バスは更に森の中へ入っていく。
 右手向こうには時折海が見える。
 隣の少年はいつの間にか足を畳んで
 ゲームを続けている。
 バスは被害を受けた家々を横目に
 ペースを乱すことなく進んでいく。
 タフな運転手だ。
 僕ならその日の気持ち次第で速度を
 上げてしまったり、深呼吸するため
 に停留所でもない所で一時停止して
 しまいそうだ。
 
 十年以上前、
 北海道の豊浜トンネルの岩盤崩落
 事故後、補強されたトンネルをわり
 とすぐにバスで通った際、今と同じ
 ように僕も同乗した親も黙っていた。
 その時の運転手もラジオを聴いたり
 叫びだしたりせず(しないだろうけ
 ど)安全運転で僕らを運んだ。
 今日の運転手も。
 
 東名という停留所でボランティアの
 若者達が降りていく。
 停留所の前には療養施設のような
 中ぐらいの建物があり、
 彼らはそこへ入っていくようだ。
 一階は他の家屋同様、壊れていたが
 二階が無事でボランティアの拠点に
 しているのだろうか?
 建物の向こうには被害を受けた家屋
 が多く見えている。ここで降りて
 話を聞いてみたい衝動に一瞬かられ
 たが結局降りずに小さくなっていく
 彼らの背中を見届けた。
 
 矢本駅には多くの人達が列をつくっ
 てバスの到着を待っていた。
 僕らを降ろし彼らを乗せてすぐまた
 松島へ引き返して行くのだ。
 本当にごくろうさまです。
 
 列車はバスに比べて広い。
 バスから乗り換えた僕達は各自、
 距離を開けて座った。ごく自然に。
 鞄から飴を一つ出して口にする。
 さっきまでの息苦しさは消えた。
 手の大きい人に正面から両手で腰を
 掴まれ、押し込まれるような。
 そして一体感も無くなっていた。
 でも一人ずつ、似た想いを持って
 各々座席に座っているはずだ。
 あのゲーム少年だってきっと。
 
  つづく
 

2011年9月19日 (月)

一時間、五ヶ月(5)

 
 瑞巌寺を出た後、浮いてる島々の
 一つに赤い橋がかかっていて渡れ
 るようになっているのがあって
 行ってみる。
 細かい雨が降り出していた。
 橋は有料で入り口に設置された
 休憩所兼売店で切符を買う。
「いつもは本当に忙しいの!」
 切符売り場の可愛いおばさん
(宮城のおばさんは皆、可愛い)
 は言う。そうだろう、とても
 渡ってみたくなる橋だ。
 可愛いおばさんは傘をかしてくれ
 た。(雨はこの後どんどん強くなっ
 たのでとても助かった)
 
 福浦橋、別名「出会い橋」と
 呼ばれる100メートル位の長い
 真っ直ぐな橋の上ですれ違ったのは
 たった一人の男性だけだった。
 島は上陸してみると結構広く、
 地震以降、訪れる人が激減した一方
 悪戯で置いてかれたら発狂しちゃう
 くらいめきめきと自然が主役の座に
 返り咲きまくっている。
 ヘンな言い方になるけど
 緑が血走っている。ギンギンだ。
 葉っぱがとても肉厚だ。
 マッチョな木々がミストに濡れて
 その気になっている。
「あいつに触ったら妊娠するよ!」
 と女の子に友人を紹介する時に
 昔はふざけて言ったりしたが
 この島で転んだりしたら本当に
 妊娠しそうな気がした。
(そういえば友人の名前も島という字
 がついてたな)
 
 種付けされないように傘で身を
 深く覆いながら島内を一周する。
 途中、展望台のような所で休憩して
 いる若者の一行に出会う。
 男3人と女1人のパーティ。
 男達は皆アウトドアな格好で
 足が長く、靴が大きかった。
 肌は小麦色が2人、
 白すぎる奴が1人。白過ぎ君は
 どのパーティにもなぜか必ずいる。
 松島の四大絶景を制覇したとか
 しないとか話す3人と黙って時々
 こちらを見る1人。(1人とは
 勿論女性のことだよ)
 僕は目が大きくてちょっと出てる
 から視界が広い(と信じている)
 のでこちらを見ているのがわかる。
 彼女の視線照射時間は長い。
 ああ、話しかけてくれないかな。
 僕が彼女ならあと7秒以内に
 話しかける。
 彼女は話しかけてこなかった。
「こんにちわ」「さよなら」
 全員が挨拶をくれた。女性の声が
 低いハスキーで大変良かったです。
 
 帰り道、商店街で
「牡蠣入りカレーパン」の看板を見、
 5メートル通り過ぎてから引き返
 して買う。牡蠣は大好きだ。
 牡蠣はぎっしり入っていて面白か
 ったがカレーにあまり絡んでいな
 かった。でも美味しかった。
 
 松島に来て2時間が過ぎていた。
 出発ぎりぎり前のバスは補助席を
 出すほど満員だった。
 おそらくボランティアの人達だろう
 バックパックを背負った若者達、主
 婦、お坊さん(にしか見えない)、
 外国人もわずかにいる。
 バス前方に座った僕の隣は制服を
 着た小太りの少年。投げ出した右足
 を僕が座っても引っ込めないので
 僕の左足と密着していたが一向に
 気にしないみたいで彼は鞄から
 プレイステーションポータブルを
 取り出し、イヤホンをして両腕を
 器用に畳んでゲームに繋がって
 しまった。右足も畳め。
 
 バスは松島を出発して50分くらい
 (だったと思う)かけて矢本という
 所まで走る。そこからはまたJRが
 出ているので乗り換えて石巻へ。
 この代行バスの区間が大きな被害を
 受けたのだ。
(現在JRの発表では松島―矢本間の
 復旧のめどはたっていない)
 
 バスは狭い道をゆっくりと進む。
 勾配になっている所では確かめるよ
 うにそろりそろり進む。
 ロサンゼルスの坂などとても無理と
 言わんばかりだ。
 バスの後方で若者達の声の音。
 
 走り出していくつかの停留所を過ぎ
 二十分くらい経った頃、バスは森道
 に入る。路面はアスファルトだ。
 その家はバスの速度に合わせて
 後方へ消えていった。追いかけて来
 たりズームインしたりしない。
 ハリウッド映画ならピアノが一音、
 ト――ン…と入るだろう。
 世界は僕らをガイドなど
 しないのだ。
 
  つづく
 

一時間、五ヶ月(4)


 携帯電話のアラームで目を覚ます。
 皆が薄い板で隔てた狭いスペースの
 中で出発の身支度をする。
 季節感のないネットカフェにも
 ひんやりした朝の出立感は訪れる。
 
 時間は8時。歯を磨き朝食を摂る。
 ここのネットカフェは無料の野菜
 ジュースが常備されている。摂る。
 鞄旅行からパンとソーセージと
 チーズを3つずつ出して2つ食べ、
 1つは持ち歩く用の鞄に飴玉と
 一緒に入れる。
 8月26日。金曜日。
 
 駅のコインロッカーに旅行鞄を預け
 (なぜ昨日は鞄を預けなかった?)
 JRへ。
 松島を通って石巻市へ行く仙石線
 (せんせきせん)に乗る。
 向かい合って座る座席の車両。
 途中、背中側に海が見える。
 昨日は歩いてばかりだったからか
 びゅんびゅん変わっていく目の前の
 景色が心地よい。
 
 松島にほどなくして到着。ここから
 バスに乗換えのため列車を降りる。
 津波の被害でJR松島駅―矢本駅間
 は現在運休なのだ。
 切符を改札機に通さず松島駅を出て
 代行バスを待つ。駅入り口にバスの
 時刻表を記した立て看板。今さっき
 出発したばかりで次は1時間後。
 JRとバスの接続はスムースでは
 ないようだ。せっかくなので辺りを
 散策してみることにする。
 
 松島は観光の名所として大変有名
(だそうです)。事前に下調べをあま
 りしなかったけれどその存在は頭に
 入っていた。
 記号的に。試験勉強的に。
 松島、キレイなトコロ。松尾芭蕉。
 
 駅を出て道なりに歩くとすぐに海岸
 に着く。右手には遊覧船。
「遊覧船にお乗りの方はこちらへー」
 と呼び込みの声。
 前方の海、眼前には盆栽みたいな島
 が浮いている。実際には浮いている
 わけでなく海の底まで大地がある。
 波が長い時間をかけて削った結果、
 今のようになったのだ。
 
 島ひとつ、その全景が自分のファイ
 ンダーにすっぽり収まるほど小さい
 せいか僕は島一つ一つと向き合わな
 くてはいけない気持ちになる。
 山ならこんな気持ちにはならない。
 山と対峙した時点で二者間は対等な
 関係にはないからだ。
 大抵の山はこっちを見下ろすか
 こちらを見てもおらず、
「登ってみいや」とか「ふうん」
 といった態度をとっている。
 これは仕事で初めて会う人が
 自分より10センチ背の高い人と
 話す時より奇妙な感覚だ。
 圧倒されるわけでなく、ただ向かい
 合い見つめ合っているような。
 フィーリング・ストレンジリー。
 この盆栽みたいな島がこのあたりの
 海に何百とあるのだそうだ。
 その何百の島々のおかげで津波は
 海岸到達前にその威力を削がれ、
 松島の被害は他地域の海岸線よりも
 少なくて済んだ。
 
 遊覧船と反対の方へ歩いていく。
 観光客向けの商店が立ち並ぶ。
 温泉街に似ているが定山渓の
 それと違って猫はいない。
「この先、瑞巌寺」の案内板。
「国宝」とも書いてある。
 商店はシャッターが下りている店が
 目につく。津波に入り口を壊されて
 しまったと思しき店、来客が少なく
 閉めてしまった店もあるのだろう。

 瑞巌寺は伊達政宗が作らせた寺だ。
 彼の生まれる前からあった古い寺だ
 そうだが最終的に彼の所業による
 寺、ということになっている。
 入り口から正門までの道の両端に
 真っ直ぐ(本当に真っ直ぐ)に伸び
 る木がきれいに生えていて
 モーゼのあれを思わせる。
 瑞巌寺の景色とその他松島の景色は
 全く異なる。自然の残し方、保管の
 度合いがまるで違う。
 瑞巌寺敷地内の自然は手入れこそ
 文字通り人の手が入ったものだが
 目的が建立当時を保存するという
 方向に注力されている。
 敷地内には定番の売店もあるが、
 ほとんどの自然は瑞巌寺を
 瑞巌寺たらしめる為に保存、手入れ
 されている。瑞巌寺保存委員会とい
 うものがあるとしたらこれはなかな
 かの仕事ぶりだと思う。
 今の瑞巌寺を伊達政宗が見ても
「なかなかいいね」
 と言うかもしれない。
 
 地震被害による補修作業のために
 本堂には入れなくなっていたが、
 代わりに普段は入れない別館が開放
 されていた。
 建物はまあ、寺だ。
 現代の寺も昔と変わらない。
 青森県の長勝寺も同じだ。
 人が寛げるように作られていない。
「なんまいだー」
 するためのスペースなのである。
 部屋毎に大きな鐘とか位牌とか
 人形だとかが置かれている。
 それらと一緒の部屋で寝食する
 としたら正気を保っていられる
 だろうか。僕は厳しいな。
「ポルターガイスト」に出てくる
 ピエロの人形を思い出してしまう。
 そんな風に各部屋には
 既に主がいるので訪問客は
「どうも」と所在無く入り、
 チラと主を見、出て行くことになる。
 コンビニでぶらぶら三十分という
 風な心持ちにはなれない。
 
 かつて札幌の平岸の
 大乗寺というお寺で「日本」という
 演劇をやったことがあった。
 夏のさなかに配られたうちわ片手に
 観客は何を体験していたんだろう。
 上演期間中、毎朝レディオヘッドの
 「ベンズ」を聴きながら
 寺に通っていた。
 他は覚えていない。
 
 瑞巌寺の売店前で蝉を踏んだ。
 その感触はチキンラーメンを踏んづ
 けるのを想像するといいです。
 あの7days limitedの小さな体内が
 固い所と空洞と固い所のサンドに
 なっているんだと身を持って知る。
 知りたくなかったけど。
 蝉の身体の中はほとんど空洞なんだ
 と市川春子の「25時のバカンス」
 で読んだなあ。
 あの感触は暫く覚えていそうです。
 
 敷地内には近代に入ってから
 建てられた歴史資料館がある。
 ここにも鐘、人形、刀や鬼瓦、
 手の多い像などがある。
 細かい所までよく作ったもんだ、
 とか復元作業は大変だったろうなと
 思うのと、とにかく外からの干渉を
 おそれていたんだなあと。
 「外」というのは隣りの武将や
 新興勢力や民衆による一揆ではなく
 自然のことだ。
 大雨や地震、干ばつがなにより
 彼らの生活を脅かしてきた。
 流行り病とか。それと霊。
 殺した武将が自分と一族を
 呪いませんように、
 部屋に入ってきませんようにと
 鬼の面を屋根にくっつけたんじゃ
 ないだろうか。
 森を切り開いてこの地に町と城を
 作ったということ、
 生活を便利にしていくことは
 自然を遠ざけることに必ず
 繋がってしまう。
 何とか式住居とか造りというのは
 自然と共生するというよりは自然
 の中で生き抜くための策だと思う。
 だから仕返しじゃないけど
 時々の自然が人の生活に及ぼす
 大きな災害を人間は本当に畏れて
 いたんだろう。食い止める根治的な
 方法が当時は見つからなくて像だと
 か瓦にお願いしたんじゃないのかな
 と思った。
 自然の大きい力を食い止める方法は
 未だ見つかっていない。
 それでいて像や鬼瓦に頼ることは
 減ってきている。
 代わりに増えたのはなんだろう。
 
  つづく
 

2011年9月18日 (日)

一時間、五ヶ月(3)

 
 ごろごろ旅行鞄を引いて道を戻る
 途中、アーケード街があったので
 入る(どこにでもあるね)。
 有線放送用のインストにアレンジ
 されたくるりの「奇跡」が
 天井から聴こえてくる。
 見上げれば大きな垂れ幕に
 「がんばるぞ!」的なことが
 書かれている。
 人は皆、同じ速度で歩いている。
 誰も二割増で速く歩いたり、
 皆一様に険しい表情をしていたり
 することなく普段通り。街のどこ
 にも傷ついた様子は感じない。
 昼間からベンチで缶ビールを
 飲んでいるおじさんもいる(この
 人には後で駅に戻る道を聞いた)。
 
 気付けば僕の息は上がっている。
 いったん立ち止まろう。
 マクドナルドに入って
 チーズバーガーとLサイズの
 コカ・コーラをもらって
 2階窓際のテーブルについた。
 夏休みの若者たちで席は
 ほどよく埋まっている。
 向かいのテーブルの女の子三人組。
 まとめると「だるいぜ」一言にな
 る所を百倍に薄めて声にしている。
 津波がさあ…なんて話していない。
 ストローでコーラを吸い上げる。
 炭酸が喉を刺激する。
 どこでもコーラはコーラだ。
 窓の外を眺めてはコーラをなめて
 いると隣の席に一人座った。
 縁の細い眼鏡をかけた着物の女性。
 年は60か半ばくらいだろう。
 テーブルに置いたトレイにはチー
 ズバーガーとMサイズドリンク。
 少し迷ってから僕は話しかけた。
(この方は怪訝な表情ひとつせずに
 突然の質問に真っ直ぐ応じてくだ
 さった。ありがとうございました)
 
 ――すみません
 「はい」
 ――少しお伺いしていいですか
 「なんでしょう」
 ――今日、札幌から来たんです。
  地震の被害に遭った宮城がどう
  なっているのかを見に来ました。
  でも案外普通で驚いています。
 「青葉区はね。でも若林区とか
  宮城野区だとかは結構建物が壊
  れたりしました。そこの(窓か
  ら見えるデパートを指して)壁
  なんかも剥がれたりしたんです
  よ。駅もそうです。海岸線の方
  は流されましたでしょ、テレビ
  でご覧になったと思うけど」
 ――はい
 「ボランティアで来てくださった
  んですか?」
 ――いえ、ただ見て回ろうと
  思っているんです。来てみたら
  予想とずいぶん違ったので
  びっくりというか。
 「このあたりはもう。はい」
 ――大変失礼なことを伺うよう
  ですが、あの、
  大変だったんですよね?
 「大変…そうねえ…
  もっと大変な事は
  ありましたけどね!」
(この時の表情が可愛いらしかった)
 
 コーラを少し残して店を出る。
 夕方になり蒸し暑くなってきた。
 さっきより人が増えたようだ。
 
 仙台駅に戻る。
 今日は肩の力を抜いて土地に身
 を委ねる一日にしようと決める。
 るーぷる仙台という観光バスが
 あるのでそれに乗って市内を見て
 回ろうという企みだ。
 しかしるーぷる仙台は今日は
 あと1回しか出ないという。
 途中で降りたらあとは自分で
 戻ってこなくてはいけない。
 それがなんなのだとも思わなくも
 なかったが切符売り場の女性の
 とてもおすすめしないトーンに
 流されてるーぷるを諦める。
 それでじゃあ自転車があればと
 思いつき携帯電話で自転車を貸し
 ているところを探す。
 人に道を聞きながら調べた住所に
 来たが情報は古かったようで
 別の店になっていた。
 
 再び仙台駅に戻り
 ベンチに腰を下ろして。
 今日と明日の予定を考える。
 新しい場所で観光するでもなく、
 ボランティアをするでもなく、
 ただここにいる。
 会社帰りの革靴が駅構内に
 鳴り響いている。
 
 その後、本屋に寄り駅近くの
 ネットカフェに泊まった。
 疲れているが疲れるようなこと
 はなかった。
 今日は何もなかった。
 何かあると期待していた。
  
 世界はドラクエのように
 橋を渡れば、海を越えれば
 新しいイベントが始まるように
 出来ていない。
 
 ネットカフェはほぼ満員。
 熱いシャワー、マッサージチェア、
 最新の雑誌。ウォシュレット。
 きちんとだらけている店員。
 
 仙台は歓迎も拒否もせず
 ただ呼吸している。
 おかしな期待の妄想眼鏡を外せ。
 見たままを焼き付けろ。
 五ヶ月の間に溜まった勝手な
 幻想は仙台の人の流れに削られ
 十数時間で剥がれ落ちた。
 街が生きている証だ。
 
  つづく
 

一時間、五ヶ月(2)


 おやつ時まえに到着した仙台駅は
 JR、地下鉄、バス乗り場があり
 ZEPP仙台があり、周囲を
 電光掲示板のついたデパート、
 電気屋、ビルが取り囲み、
 少し歩けば立派な図書館、お城が 
 あり、駅二つ隣にはプロ野球場、
 宮城Kスタジアムがある。
 お金があれば楽しませてくれる物
 が一極にまとまっている――
 あとでよく考えてから作り直した
 ポータブルな東京だ。
 
 駅の中にも地震直後から復興の
 経過を写真にしたパネル展が催さ
 れている。その近くで復興ボラン
 ティアのサポートセンターが設置
 されていて緑色のシャツを着た
 数人の若者が立っていた。
 
 ここで僕のことを少しだけ書く。
 現地に触れる、知るための
 方法としてボランティア活動を
 僕は出発の直前に
 選択肢から外していた。
 地震から五ヶ月が経った現時点
 の宮城県はどんな状態なのかを
 見ようと思った。
 見ることから始めるべきだと
 思った。
 ただ見に行くだけなんだと人に
 伝えたら、そんなこと新聞や
 ネットで調べれば情報はわかる
 じゃないかと言われたと思う。
 (だから黙っていた)
 言い直そう。
 見ることからしか始められなか
 ったのだ。
 札幌から飛行機で一時間の所で
 何がどうなっているのか、
 調べても本当はわからない。
 今度のことは
 想像の限界を超えている。
(阪神の地震の時は15才で
 想像するという行為自体が
 行われなかった)
 限界線を越えてボタボタと
 零し続けている。
 教えてくれ宮城。
 この選択が想像を出来るように
 なり始めた僕の精一杯だった。
 タイニイで泣きたくなるけど。
 
 
 仙台市には東北大学がある。
 僕はかつて大学生だった。
 大学はいいところだと思う。
 誰でもウェルカムだし、誰が
 入っても尋問されたりしない。
 授業を受けられるかどうかは
 別だけどご飯を食べたり図書館で
 本を読んだりギターを弾いたり、
 草むらで寝たりできる。
 小学校や高校や会社でそんなこと
 はできない。大学は
 そんなことができる場所だ。
 
 十年前の冬、ベトナムへ行った。
 マトリックスの3に出てくる
 イカの群れを思わせる無ッ数の
 カブが出す排気ガスと果物の香り、
 体験したことのない熱帯の暑さに
 全身に斑点を発生させ狂った僕は
 ホーチミンの大学に行き、
 現地の学生に声をかけられた。
 自分を名乗り、彼と握手をし、
 彼のオンボロ自転車で二ケツして
 入り組んだ路地路地路地を抜ける
 途中、玄関と窓から
 「なんだぁこのひと」な視線を
 浴びながら彼の家に辿り着いた。
 それはフォーを食べたりシクロに
 乗るよりも直にベトナムに触れた
 瞬間だった。
 
 そんなことがあったから知らない
 土地に来たら大学に行ってみよう
 と考えていたのだ。
 しかし大学は夏休みだった。
 うん。そうだよな。
 しかも僕が訪れたキャンパスは
 電気工学系の専門的な所で建物も
 研究室が多くちょっと寛いだり
 多くの人が集まっているような所
 は見当たらないのだった。
 夏休み期間を利用して大学が道の
 舗装工事なんか雨なのにするから
 余計に気がそがれてしまった。
 「一般的なキャンパスは別の場所
 (ちょっと遠い)なんですよ」
 と警備員に言われるだけになって
 しまった。
 
  つづく
 

一時間、五ヶ月

 
 出発前日の夜、近所の東光ストア。
 時間をかけて吟味し、ひとつずつ
 買い物カゴに入れていくうちに
 目が冴えていく。
 
 少しずつ食べるのだ。
 かじるように、なめるように。
 なにせ貧乏旅行なのだ。
 
 旅行鞄に先程の厳選した食料と水、
 下着と靴下と上着、歯ブラシと粉、
 T字の剃刀、綿棒、
 携帯電話の充電器と
 読みかけの本2冊を詰めた。
 
 翌朝8月25日。
 部屋をなるべくきれいにして
 JR白石駅、新千歳空港へ。
 3月に訪れた時は改装中で
 「すごく面白くなる」という趣旨の
 コピーが張られていた新千歳は
 トイザらスかジャスコみたいな
 大型モールに様変わりしていた。
 世界に一つくらい賑やかで
 騒がしい空港があってもいいと
 思うけどいつも使う空港が
 それだというのはどうだろう。
 答えは次に使う時に出るかな。
 飛行機は
 新千歳―仙台間を一時間で結ぶ。
 
 13時30分。
 仙台空港。水浸しになった空港。
 便が減少している今は人が少ない。
 「この高さまで津波がきました」
 と書かれた紙が一階ラウンジの柱に
 巻かれていた。
 壁や床に亀裂が入っていたり
 歩く所がグラつくこともない。
 壁には地震当日から復旧までの
 写真や全世界からの
 メッセージ、絵が張られている。
 それらを音楽のない空港内で
 (どこの空港もそうだ。
  ヒースロー空港でも)
 僕と一緒の便で到着したと思われる
 スーツの男性が見上げている。
 美術館にいるような気分がした。
 
 仙台空港からJR仙台駅行きの
 直行バスに乗る。約60分。千円。
 バスは七割の入り。
 出発してまもなく重機で数箇所に
 分けられた車の山が見えてくる。
 水に流されたのだ。ぐにゃりと
 曲がった白いガードレール。
 そこかしこに水溜まり。
 遮るもののない滑走路を
 水が覆っていく映像を思い出す。
 あの日僕は札幌市中央区のビルの
 三階にいて、揺れが収まったあとは
 椅子に座ってテレビでそれから
 何千回と繰り返されることになる
 映像を見ていた。
 景色は流れていく。
 あれから五ヶ月以上が過ぎている。
 
  つづく

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